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熊野古道の世界遺産登録五周年記念”熊野三山への道
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熊野古道とは
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社など熊野三山への参詣の路を熊野古道と言います。古くは山伏達が神武天皇の東征以前から道を開いてきたとされ平安時代に入ると上皇や貴族、江戸時代には庶民達が伊勢参りと並んで熊野古道を旅するようになりました.。また高野山から熊野本宮大社までの小辺路、吉野から熊野本宮大社までの大峯奥駈道も熊野古道として世界遺産に登録されています
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熊野古道のルート紹介
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熊野古道・伊勢路と紀伊路
熊野古道には大きく分けて二通りのルートがあります。先に紹介した熊野古道紀伊路と熊野古道伊勢路に別れます。伊勢路はすでに中世から「熊野に参るには紀道と伊勢路のどれ近し、どれ遠し、広大慈悲の道なれば、紀道も伊勢路も遠からず。」紀道(紀伊路)は京都を基点に大阪から和歌山田辺から山の中を分け入る中辺路を通り本宮大社向う平安時代の熊野古道のメインコース。
伊勢路は京都から伊賀越えや鈴鹿を越え長島に到り海岸線を通り伊勢から本宮大社に向かい進むコース。伊勢路も紀伊路も遠からずとありますが、実際には伊勢路のほうが楽であったとされています。その理由は、同じ熊野古道でも紀伊路が殆ど歩かなければいけなかったのに対し、伊勢路は長島から船で行けたからでしょう。
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紀伊路詳細
紀伊路(きいじ、古くは紀路〈きじ〉とも)は、熊野三山への参詣道・熊野古道のひとつ。
淀川河口の渡辺津(摂津国)から一路南下、和泉国を経て、雄ノ山峠を越えて紀伊国に入り、紀伊田辺からは大塔山地周縁部を東進して熊野本宮大社に至り、熊野速玉大社・熊野那智大社を結ぶ。
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中辺路
紀伊路から田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路があります。熊野古道の中でも中辺路は平安時代からも貴族たちの熊野古道としての参詣道のメインルートとされてきました。熊野古道の王子社の殆ども紀伊路から中辺路に沿って建てられています。現代でも熊野古道のメインルートとして人気の在るコースでハイカーや観光客などが多数訪れています。
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熊野古道大辺路
熊野古道で大辺路は紀伊路で大阪から和歌山県の田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路とに別れています。熊野古道のメインルートとされる中辺路と違い大辺路は王子社の数も少なく国道42号線に吸収されて所々の峠道を残すのみとなっていました。現代では大辺路は地元有志のかたがたによりだいぶ発掘が進み、白浜の富田坂、日置川町からの仏坂、周参見町からの長い坂などが熊野古道として世界遺産に登録されています。熊野古道での中辺路と違い大辺路は近世には文人墨客に愛さが残されています。
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伊勢路詳細
熊野古道の伊勢路(いせじ)とは、伊勢国・伊勢神宮から、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道であり、熊野古道のひとつである。『東海道中膝栗毛』にも登場する。
古くから、伊勢神宮と熊野三山を結ぶ交通路で、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれる信仰の路であった。
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小辺路詳細
高野山から熊野本宮大社への道を小辺路と呼ばれています。奈良県の野迫川村から十津川村を越えて熊野本宮大社までの72㌔の最短コースと言いながら標高1000メートルを越える峠を3つも越すと言う大変に険しい山道です。 |
大峯奥駈道
吉野から熊野本宮大社までの道のりで熊野古道の中でも大峯奥駈道は修験道として知られており大峯山寺より1500メートル級の山々を越え170キロにも及ぶ道のりを熊野本宮大社まで行かなければならない。 |
熊野古道の宿泊お勧め南紀串本ロイヤルホテル
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ホテルからみる橋杭岩
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熊野古道で大辺路は山の中を分け入る中辺路と違い海辺の風光明媚な所で文人墨客に愛されてきました。苦労をして山道を登り頂上についてでしか、眺められなかった大辺路の景色を南紀串本ロイヤルホテルは丘の上に立っている立地条件と眼下に見下ろす橋杭岩や向かいに見える大島などの景色を気軽に楽しめます。また、熊野三山の那智大社も車で40分の位置にあり、大門坂から那智大社→西国三十三箇所の一番札所青岸渡寺→那智の滝と熊野古道のフィナーレを飾るコースも気軽に楽しめます。
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六月の特集”五体王子”
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ところで、九十九王子の中には五体王子(ごたいおうじ)と呼ばれる王子があり、他とは格式を異にするとされる。これらは一般に、熊野の主神の御子神ないし眷属神として三山に祀られる神々のなかでも、五所王子と呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)を祀る神社であり、三山から勧請したものと考えられている。これら五体王子では、舞・白拍子・神楽・猿楽などが行われており、芸能的性格が強いと一応は言えるが、これらは他の王子でも行われており、顕著な特徴とは言えない。なお、五大王子と書くのは誤りである。
いずれの王子を五体王子に数えるかは、これまた解釈の相違があり、修明門院参詣記では籾井(樫井)・藤代・稲葉根の3社を挙げるが、後鳥羽院参詣記は藤代王子のみが該当し、稲葉根王子がこれに準じるとしているが、他の列挙例もあって一貫しない。現在では、諸史料から最小公倍数をとって、藤代王子・切目王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子の5社とするのが一般的である。
(参照 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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発心門王子(ほっしんもんおうじ)は和歌山県田辺市本宮町の神社旧蹟。九十九王子のひとつで、五体王子のひとつにかぞえられた。国指定史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部。南無房堂址とともに県指定史跡(1967年〈昭和42年〉4月14日)。
発心門と言う語は山岳信仰における四門修行に由来する。四門修行においては、山上の聖地に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれた。このとき、発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味する。すなわち、発心門とは聖域への入り口を意味しているのである。
天仁2年(1109年)の藤原宗忠の参詣記は、ここに大鳥居があり、参詣の人々はその前で祓いをして鳥居をくぐったと伝えている。発心門とは本来は字のごとく楼門であるが、ここでは鳥居であり、そのそばにあったことから発心門王子の名が与えられた。
(参照 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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藤白神社(ふじしろじんじゃ)は、和歌山県海南市にある神社。鈴木姓の発祥の地とされる鈴木屋敷がある。九十九王子のなかでも別格とされた五体王子のひとつ藤代王子の旧址で、「藤代神社」「藤白権現」「藤白若一王子権現」などとも呼ばれた。
創建年代については不詳であるが、景行天皇の代の創建とされる。また、社殿は斉明天皇の牟婁の湯行幸の際に建立されたと伝わる。
中世熊野御幸の盛期には、九十九王子の中でも特に格式の高い五体王子のひとつとして崇敬され、熊野詣の途上における要所であった。吉田経房の参詣記(『吉記』所収)承安4年(1174年)9月25日条に「於藤代王子行里神楽」、藤原経光の参詣記(『民経記』所収)承元4年(1210年)4月25日条にも参拝の折には馴子舞や藤代王子におかれていた巫女による里神楽が行われたと記され[後鳥羽院参詣記(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月9日条に「御経供養」「白拍子」といった文字が見えるなど、歌会・里神楽・相撲などの奉納が行われるのが通例であった。境内東通用口から西へ抜けてゆく道はかつての熊野参詣道で、北側にある正面参道は近世の熊野街道の道筋につながっている。
(参照 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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