熊野古道・大門王子詳細

不寝王子大門王子十丈王子


大門王子

 昔は大門王子の石碑が平らな所松の木の根元にありましたが、昭和51年に猛威を振るった松くい虫の被害にあい伐採された模様です。
 「高原」の地名を読み込んだ歌に、
      たかはらやみねよりいづる月かけは
        千年松をてらすなりけり、とあり千年松がありし頃がしのばれます。
大門王子の由来は本宮大社の鳥居が此処に有ったとされています。

水音の響く道

増基法師や藤原忠宗、そして藤原定家の記録には「水のみ」または「水飲仮屋」か「昼養山中宿」の名である。定家の頃までは大門王子の名が無く宿舎があったのみだったのでしょうか。谷川には水が絶えず、水飲みの宿舎があってもおかしくないとされています。

大門王子(だいもんおうじ)は、高原集落から十丈峠へ向かう山道の右手にある。『愚記』や『中右記』には直接の言及はない。『道中記』(1722年)に社殿なしとしてこの王子の名が登場するのが史料上の初出であることから、中世熊野詣以後の時代に建てられた王子と見られている。大門の名の由来は、この付近に熊野本宮の大鳥居があったことによるという。

以前は見事な松の大木があったが、マツクイムシの食害で枯死し、伐られた。その後、朱塗りの社殿が建てられ、町石卒塔婆と緑泥片岩碑はその背後に隠れてしまっている。定家・宗忠の参詣記、さらに古くは増基の『いほぬし』も、この付近に水呑仮宿所ないし山中宿なる宿所にふれているが、大門王子付近にあったものと見られている。