伊勢路

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熊野三山

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以上の三社を合わせて熊野三山といいます。

高野山

高野山は和歌山県伊都郡、紀ノ川の南方、海抜100メートルの山上にある。空海(弘法大師)の開いた真言密教の聖地

高野山詳細

紀伊路

紀伊路から田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路があります。

中辺路

平安時代からの熊野古道のメインルート

中辺路王子社詳細

メインルートの中辺路は平安時代からの王子社や跡地がいっぱい

大辺路

 海辺を通る風光明媚な古道

伊勢路

 伊勢路は京都から伊賀越えや鈴鹿を越え長島に到り海岸線を通り伊勢から本宮大社に向かい進むコース。

伊勢路詳細

紀州MAP伊勢神宮

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本宮大社周辺

 お気軽に楽しめる熊野古道の聖地、本宮大社周辺のコース案内

那智大社周辺

熊野古道のたびもいよいよフィナーレを飾る那智大社周辺のコース案内

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伊勢神宮詳細

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

より 宇治橋(伊勢神宮)

宇治橋

 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
 宇治橋は20年毎に、かけ替えられます。全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風反(そ)り橋で檜(ひのき)で作られていますが、橋脚の部分は欅(けやき)を使用します。
 宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は、内宮の旧正殿(しょうでん)の棟持柱(むなもちばしら)が用いられ、外側の鳥居は外宮のものがあてられます。さらに20年たつと、内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となります。ともに正殿の棟持柱となって以来、60年のお勤めを果たしています。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神宮の俗称。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。

建物は皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなる。通常は皇大神宮を内宮(ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮は皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ・てんしょうだいじん)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る。近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。

皇祖を祀る神殿を「神宮」と称することは中国の『詩経』の「?宮」(ひきゅう)の神楽歌への鄭玄(127-200年)の注釈に見える。そこでは周王朝の遠祖の「姜?」(きょうげん)という女神の「依(よ)る所、故に廟を神宮と曰(い)う」と述べられている。

広くは、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた一連の社宮を神宮と総称する。この場合、所在地は伊勢市にとどまらずまたがる。

社務所に当たる組織は神宮司庁と呼び、三重県伊勢市宇治館町に置かれている。

伊勢神宮の歴史

 伊勢神宮は2000年前に皇女の倭姫命が天照大神の鎮座地を求める長旅の末、伊勢に定めたのが始まりといわれています。それが皇大神宮で一般には内宮と呼ばれています。一方、外宮こと豊受大神宮はそれより500年後丹波から豊受大神をこの地に迎えたものです。

当初は、森の中の清浄な清浄な地に榊を立てて、神の降臨する祭祀の場であったとされ、七世紀後半、持統天皇の世に、神殿が建てられた。神宮の神殿は「唯一神明造」と呼ばれる建物で、檜の丸柱を直に地中に埋める堀建て式、屋根は萱葺き、装飾や色彩のない檜の素地で造られている。稲穂を保管する弥生時代の倉庫を模したといわれ、出雲の大社造と並んで日本最古の建築様式といわれる。神殿は20年に一度、新しく造り替える式年遷宮をj繰り返してきたゆえに、新しい建物でありながら、はるか昔に思いを馳せることができる。

 伊勢神宮は本来は皇室しか奉幣(物を捧げて祈ること)ができなかったが、時代を経るにつれ、貴族や武士層、さらに庶民にも伊勢参りは広まった。その背景には、神宮のお札を全国へ配り、お伊勢参りを広め、旅館業と旅行業者の役割を担った新宮の神職”御師”の活躍と村ごとに伊勢神宮用の資金を貯めて代表者が参る伊勢講の組織化があった。さらに、庶民の旅が制限されていた江戸時代にも、伊勢参宮は特別に許可されたこともあって、半年間に500万人が訪れたという熱狂的な「おかげ参り」も起こる。江戸時代の伊勢参宮ブームが、日本人の旅の原点ともいえるのではないだろうか。
(参照  昭文社 にっぽんの旅”南紀・伊勢・熊野古道”)

熊野古道案内・伊勢路特集

伊勢路とは

 熊野古道のうちで、伊勢から熊の三山を目指す道を伊勢路と呼びます。紀伊の険しい山々を熊野灘に向かい南下する大変に険しい道のりです。江戸時代ではお伊勢詣りをすませて熊野三山や西国33箇所詣りをする巡礼者も増え、峠の所々には石畳が敷かれました。

伊勢神宮

 伊勢神宮は2000年前に皇女の倭姫命が天照大神の鎮座地を求める長旅の末、伊勢に定めたのが始まりといわれています。それが皇大神宮で一般には内宮と呼ばれています。一方、外宮こと豊受大神宮はそれより500年後丹波から豊受大神をこの地に迎えたものです。

ツヅラト峠コース

 かつては伊勢と紀州を二分する境であったツヅラト峠。頂上の見晴台に立つと、深い山の向こうに熊野灘が広がっている。九十九折りの坂道が続くものの、昭和初期まで生活道だった古道で、アップダウンもきつくなく初心者でも歩きやすい。

馬越峠コース

 海山町と尾鷲市の境にある馬越え峠を越える一般向けコース。尾鷲ヒノキの林間を約二キロに渡って続く石畳は、熊野古道の中でもひときわ趣深い。途中、地藏尊や句碑など史跡も多く、天狗倉山頂まで一足伸ばせば、尾鷲一円の眺望も楽しめる。

伊勢神宮


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■電車で
近鉄特急 京都 
宇治山田 2時間10分
近鉄特急 大阪・上本町> 宇治山田 1時間50分
近鉄特急 名古屋> 宇治山田 1時間30分
JR快速  名古屋> 伊勢 1時間37分
■駅から
内宮
 <近鉄>宇治山田駅からバス15分
外宮  <JR・近鉄>伊勢市駅から徒歩5分(600m)
■お車で
内宮
 <伊勢自動車道>伊勢西インターより5分
外宮  <県道>伊勢市駅前で右折1分

熊野古道・伊勢路ブログリンク集

ジェリーの日記 伊勢路

「日本人に生まれたなら一生に一度はお伊勢参り、と言うけれど、私の人生もそろそろ半ばに差し掛かろう頃なので、今のうちに行っておこう」。
と、いうわけで、昨日と今日の2日間で伊勢路参りをしてきました。

新横浜を8時頃に出て、名古屋で「特急みえ」(特急というからにはどんな顔をしている列車かと思いきや、単なる2両編成のこぢんまりした地方列車でした)に乗り換え伊勢へ。
乗車時には「今日は外宮だけ参拝して、明日、内宮と鳥羽に行こう」と思っていたのですが、あまりの天気のよさに鳥羽に直行して、「ミキモト真珠島」を見学。

中村真也の街道・古道をゆく(伊勢路・旅日記

今日もまた峠越えがいくつも待っている。そのひとつひとつに個性があり趣きも違えば歴史もそれぞれ。さらには各所の展望がまた楽しみのひとつのである。なにせ最高の青空で覆われた朝なのだ。5時半に起床。テントを開けると目の前には賀田湾が広がりその先にはくっきりと地平線が浮かび上がる。色付き始めた空を眺めながら日記書き自炊と今朝も慌ただしく過ごして出発は8時となった。もちろん今日も出がらしさんと一緒の二人旅だ。

今日の最初の峠は甫母峠。ここは他と違い坂に名前がついている。中世までここは志摩と紀伊との国境で志摩側の坂を曽根次郎坂(じりょう)、そして紀伊側は曽根太郎坂(たりょう)と呼ばれている。自領や他領がなまりつけられたものなのだ。こうした由来も面白い。

ゴル爺&ごるままのフォト日記: 伊勢路撮影行【伊勢神宮 内宮 2 】

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那智山、伊勢路に鬼が城 - Hamazoの日記

今回の旅の目的の一つは熊野古道を自分の足で歩く、ということだったのだが、これは意外と難しいということが判明した。最初はエコに配慮して電車やバスという公共交通機関を使おうと思ったのだが、本数が少なすぎてあまり柔軟な行動ができない。あっさり宗旨替えして紀伊勝浦駅前でレンタカーを借りた。車があると安心してしまう、悪い癖である。