熊野那智大社と桜

熊野那智大社詳細

熊野那智大社は高さ133メートルから流れ落ちる那智の滝への信仰から始まったとされています。神武天皇が那智の海岸に上陸した時、那智山に光り輝くものが見えて大滝を見つけ神としてお祀りしたのが始めだとされています。

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以上の三社を合わせて熊野三山といいます。

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高野山は和歌山県伊都郡、紀ノ川の南方、海抜100メートルの山上にある。空海(弘法大師)の開いた真言密教の聖地

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紀伊路から田辺で山の中を分け入る中辺路と海辺を通る大辺路があります。

中辺路

平安時代からの熊野古道のメインルート

中辺路王子社詳細

メインルートの中辺路は平安時代からの王子社や跡地がいっぱい

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 海辺を通る風光明媚な古道

伊勢路

 伊勢路は京都から伊賀越えや鈴鹿を越え長島に到り海岸線を通り伊勢から本宮大社に向かい進むコース。

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那智の滝とソメイヨシノ


 那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっている。「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であった。

しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指している。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来る

ソメイヨシノと那智大社の鳥居


 熊野那智大社の社殿は、古代からの「権現造」そのままの姿で、鎮守山の緑に映えています。
 熊野権現造りの特色は、切妻妻入(きりづまつまいり)の構造で、妻正面に庇をつけた点にありますが、当社殿はさらに、社殿床下に袴のような木造壇上積の基壇の箱が左右と後の三面に取りつけられています。殿内は内陣と外陣とに区ぎられ、内陣は一段高く床が上がっており、また各殿とも正面それぞれ鈴門がついています

熊野那智大社の枝垂れざら

 
 熊野那智大社社殿の前にある枝垂桜が見ごろです。枝垂桜の時期だけ初穂料千円で境内で観賞できます。秀衡桜は四月中旬から (撮影 三月二十三日撮影) 

枝垂れ桜は中世の“蟻の熊野詣”において歴代上皇中もっとも多い、34回の御幸をなされた後白河上皇御手植によるものであります。
この桜は花の形が極めて小さく、その上品なことは比類なく後白河上皇が編纂した「梁塵秘抄」に収められた熊野詣の今様のように、人々の祈りの素朴な姿を、その桜を通じて今に伝えているのでしょうか。 (参照 熊野那智大社公式ホームページ)

那智の滝とオオシマ桜


 オオシマ桜は山桜の次、ソメイヨシノよりは早く白色の花びらを咲かせます。只今、見頃です。(撮影 三月二十三日)

 那智滝(なちのたき)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。

 
 那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっている。「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であった。

しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指している。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来る

 青岸渡寺と山桜


 ソメイヨシノは三月二十三日の時点では5部咲きでした。
 

 那智の滝と並んでよく紹介されているのが青岸渡寺の三重塔です。天正九年(1581年)の豪族の争いで焼失しました。現在の三重塔は昭和47年(1972年)に400年ぶりに再建されました。塔の高さは25メートルで一辺の長さは12メートルです。
 各層は美しい格天井(ごうてんじょう)と板壁で飾られています。
 塔一層には飛瀧権現、不動堂にまつられていた「不動明王」が安置されて、塔二層には尼子十勇士(あまこじゅうゆうし)、山中鹿介(やまなかしかのすけ)の持仏堂(じぶつどう)の本尊であった「阿弥陀如来像」(あみだにょらいぞう)、そして、塔三層に飛瀧権現の本地仏(ほんじぶつ)「千手観音菩薩」(せんじゅかんのんぼさつ)が安置されています。 

拝殿

熊野那智大社の社殿


 熊野那智大社の社殿は、古代からの「権現造」そのままの姿で、鎮守山の緑に映えています。
 熊野権現造りの特色は、切妻妻入(きりづまつまいり)の構造で、妻正面に庇をつけた点にありますが、当社殿はさらに、社殿床下に袴のような木造壇上積の基壇の箱が左右と後の三面に取りつけられています。殿内は内陣と外陣とに区ぎられ、内陣は一段高く床が上がっており、また各殿とも正面それぞれ鈴門がついています。

  このような社殿が、正面に五殿、左側に平入社殿が細長く一棟の流造りに建っています。五殿は南面して建ち、第一殿だけは前面がやや後退して建っていますが、他の四殿は前面が一直線に配置されています。

 前述のように、創建は仁徳天皇の御代(三百十七年)で、時代を得てその後、平家物語にも出てまいりますように、平重盛が造営奉行となって装いを改め、やがて、織田信長の焼き討ちに遭ったのを豊臣秀吉が再興し、徳川時代に入ってからは、将軍吉宗の尽力で享保の大改修が行われ今日に至っております。

 春になると、社前の枝垂桜が花を添えますが、この枝垂桜は、最初、後白河法皇がお手植されたものといわれ、室町時代の図絵にも画かれています。また、この木の側には、神武天皇が大和にお入りになる際、道案内をした八咫烏が、その任を終えて帰り、この石に姿を消したと言い伝えられる烏石が坐っています。

 そして、第六殿まである社殿は、それぞれのご名称をもち、下記の表のような神々をおまつりしています。なお、いまもなお、熊野那智大社と称して、「熊野権現」あるいは「十二所権現」ないしは「十三所権現」とよびならわしている由縁の、神仏習合時代に神々と一体してまつられていた本地仏名もかかげます。
 第一殿(滝宮)は鎮守社で、第四殿(西御前)におまつりしている熊野夫須美大神(くまのふすみのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)が当社の御主神であります。この神様は「むすびの神」とも称せられ、万物の生成・育成を司る、すなわち生産・和合の神様でありますから、農林・水産・漁業の守護神としてご霊験があるとされています上に、縁結びの神でもあります。

那智大社の御由緒

 
 熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸”にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大滝を探り当てられ、神としておまつりになって、その御守護のもとに、八咫烏の導きによって無事大和にお入りになった」と記録されております。
 千古の老木におおわれた原生林のあいだに光り輝く「那智の大滝」の神秘性は今も昔もかわることのない姿だと思いますが、その御姿を神としてあがめられたお気持ちは、現代に生きるわれわれにもまた通じるのでありまして、俳人・高浜虚子は「神にませば まことうるわし 那智の滝」と詠んでいます。
 命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智の大滝」を、この地方に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として敬っていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大滝を「神」としてあがめ、そこに、国づくりの神である「大己貴命(おおなむちのみこと) ・大国主(おおくにぬし)をまつり、また、親神様である「夫須美神(ふすみのかみ)・伊邪那美尊(いざなみのみこと)」をおまつりしていたのであります。
 現在は、大滝前の小さな広場に自然石が置かれその上に金の幣を立てた祭壇が設けられていますが、ここがかつてお滝拝所のあった所であります。やがて仏教が伝来し、役小角(えんのおずぬ)を始祖とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを合わせてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行われるようになりました。そして大滝の御神体である「大己貴命」の化身として「千手観音」をおまつりしたことから、お滝を「飛瀧権現(ひろうごんげん)」と呼ぶようになり、権現信仰の霊場として次第に名が高まり、全国から訪れる人が多くなってきたのです。「お滝拝所」と並んで「飛瀧権現本地堂」(千手観音堂)も設けられました。

 このようにしてみてまいりますと、「熊野那智大社」の根源は「那智大滝」を神としてあがめたことにあるのですが、その社殿を、大滝からほど近く、しかも見晴らしの良い現在の社地にお移しになったのは仁徳天皇五年(317年)と伝えられています。この時、大滝を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に国づくりにご縁の深い神々をおまつりしました。
 また、新宮に「速玉神」(伊邪那岐命いざなぎのみこと)、本宮に「家都御子神けつみこのかみ」(素盞鳴尊(すさのおのみこと)がまつられるようになって那智大社を含めて「熊野三山」と称するようになりました。 そして、権現信仰の風潮が高まると共に「熊野三所権現」と称せられ、ついには「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九百七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河上皇は三十四回、後鳥羽上皇は三十一回もご参詣の旅を重ねられ、また、花山法皇は一千日(三年間)の滝籠りをなされたと記録されております。
 その後、明治維新となって「神仏分離令」がだされ、それまでの「熊野那智権現」は「熊野那智神社(後の熊野那智大社)」となり、それに伴って大滝を「別宮飛瀧神社」と称するようになったのであります。
 なお「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは、奥深い処ということになります。また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。
 その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようとして、古代から多くの人が熊野へ、那智山へと旅を重ねているのであります。
参考 那智詣 発行 那智大社

社殿

拝殿より(あげいん熊野詣)

樹齢約850年の樟の木は平重盛が手植えしたものと伝えられています。

一の鳥居

社殿・祭神・本地仏一覧表

第一殿

殿


殿


殿
第五殿 第六殿(八社殿)
社殿名

滝 宮



殿


西

若 宮 禅甚師宮 聖 宮 児 宮 子守宮 一万宮 十万宮 勘証十五所 飛行夜叉 米持金剛
御神名 大己貴命 家都御子神 素戔嗚尊 御子速玉大神 伊弉諾尊 熊野夫須美大神 伊弉冉尊 天照大神 忍穂耳尊 瓊々杵尊 彦火火出見尊 鵜葺草葺不合命 国狭槌尊 富斟淳尊 泥土煮尊 大戸道尊 面足尊
本地仏名 千手観音









十一面観音

地蔵尊 竜樹菩薩 如意輪観音 聖観音 文殊菩薩 普賢菩薩 釈迦如来 不動明王 多聞天

熊野那智大社アクセス


より大きな地図で 和歌山県の桜情報 を表示
電車


大阪方面より→紀伊勝浦駅下車
JRきのくに線新宮行き・特急オーシャンアロー号・スーパーくろしお号で京都から約3時間50分 新大阪から3時間20分、大阪天王寺から約3時間


名古屋方面→紀伊勝浦駅下車
JR紀勢本線・名古屋駅から特急ワイドビュー南紀号で約3時間

※紀伊勝浦駅より熊野交通バスで「神社お寺前駐車場」30分。
タクシーで20分

自動車


京阪方面から
名阪国道を利用・R24号線・R168号・R169号を南下、R42号線で那智勝浦へ
阪和・海南湯浅・湯浅御坊道路・阪和で南紀田辺I.CからR42号を那智勝浦へ

名古屋方面から
東名阪・伊勢自動車道で大宮大台からR42号で那智勝浦へ

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