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湯川一帯は、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に威勢を誇った湯川氏の発祥の地とする伝承があり、1427年(応永34年)に足利義満の側室・北野殿が参詣した際には、奥湯川氏を名乗る豪族の一党が兵を従えて接遇を行っている。
江戸時代には、本宮の湯川(下湯川村)と区別するために道湯川村(どうゆかわむら)と呼ばれ、王子は若一王子社として祀られた。明治期には王子神社と呼ばれ、住人たちの氏神であったが、明治末年に社殿を残して金毘羅神社(元・近野神社)に合祀された。道湯川村はもともと山中の小集落であった。国道311号線が三越峠の険路を避けて敷かれたことで、交通路から取り残されたこともあって住人の退去が進み、1956年(昭和31年)には無住の地となった。現社殿は、1983年(昭和58年)に再建されたものであり、以来、旧住人たちによる湯川会が祭祀を執り行っている。
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